蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。
今は亡き母方の祖母は、お洒落で聡明な女性だった。
美味なパイを焼き、珈琲豆を焙煎し、質の良い葡萄酒を好んだ。
彼女は、クリスチャンだったため、
日曜日の朝に教会に足を運んでは、牧師の話に耳を傾け、寄付を行い、
午後からは、アトリエで創作活動に情熱を注いだ。
そんな祖母の影響だろうか、私はキリストの文化が大変好きだ。
熱心な信仰心があるわけではないが、教会を見かけるとフラッと立ち寄りたくなり、
讃美歌を想像しながら、神聖な空間を味わうのだ。
今日は、私のこだわりを生んだ源泉の一部の話をしよう。
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私は不定期だが断続的に、聖書を読み返している。
ご存知のとおり、聖書は累積50億部を超える史上最大のベストセラーで、
人類にとって、最も重要な書籍と呼んでも差し支えはないだろう。
私は、大学で物理学を専攻した科学主義者ではあるが、
聖書の物語(たとえば、ノアの方舟やバベルの塔)を読んでいると、
「あるいはそういうこともあったかもしれない。」と真剣に思えてくるのだ。
これらが、人の手で書かれた単なる空想上の物語であれば、
何世紀にも渡って、世界中で必要とされ続けるのは不自然である。
私が思うに、聖書の記述は、全て真実を基軸にしつつも、
メタファーで、抽象的に表現しているのだと考えている。
苦い薬をオブラートで包むように。
そうした視点で読めば、これ以上に興味深い書物はないことに気付くだろう。
聖書は、旧約の第一章「創世記」から震えるほど面白い。
全ての章でメタファーが秀逸なので、
まるで難解な宝の地図のように、読むたびに発見があり、
自身の成熟度に応じて解釈が更新されるため、
少しずつ世界の秘密に迫っているような気がするのだ。
たとえば、マタイによる福音書には、
「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。」という主の教えがある。
この手の表現を、さらりと読み流してしまうのは、あまりに勿体ない。
なぜ、「賢さ」の象徴が蛇で、「素直さ」の象徴が鳩なのだろうか。
どう考えても、鳩よりもラクダの方が素直そうなのに。
そして、蛇と鳩の間にはどのような対比構造があるのだろうか。
私が敬愛する魔術師は、この件について、以下のように教えてくれた。
「後世の人間の恣意的な思惑によって、色を付けられないように、
真実をメタファーの中に隠したのだろう。
ダヴィンチの絵画のようにね。」
聖書は、人類に多大な影響を与えた作品なので、
絵画や音楽、映画や漫画にも、その真髄は引き継がれている。
ブリューゲルの「バベルの塔」が描かれて400年が経つが、
資本主義の破壊的創造に警鐘を鳴らしているようだ。
「幸せになる10の秘訣」みたいなカジュアルな本も悪くはないが、
毎朝10分間、世界の成り立ちについて、理解を深めるのはいかがだろうか。
PS(追伸)
Kは、偏屈で気難しい人物である。
それゆえ友達が少ないため、申請してあげると喜ぶに違いない。
コメント42件
前略
Kさん、こんにちわ。
昔の人のほうが現代人に比べて
お洒落だな〜と感じました。
物質的な豊かさや知識や情報量は今より
ずっとずっと少ないはずなのに
現代の人よりも粋でカッコいいとさえ思います。
昔の人は好きなコトをして生活の糧とし
今の人は…です。
もしかしたら
不自由なのは現代人のほうかもしれませんね。
秋の夜長に思考します。
Hello Mr.K!
聖書のように間接的な表現から、日常生活でも、言葉で相手を傷つけない方法として有効的だと感じました。表現方法は大切ですね。
受け継がれた感性で、自分の眼でみる教会はさぞかし美しいのでしょう。知りたいと思えば思うほど蟻地獄に足を滑らせてしまったかのように、抜け出せそうもない領域ですが、その価値は十分にありそうです。
世界の秘密の外側にそっと触れているような、静かな高揚感とその空気の密度にどきどきとした気持ちになりました。
何かしら神聖な気分にさせる“聖書”と感じるからそうなのでしょうか?
あるいはそれは真実かもしれないという事が本能のどこかでメッセージを送っているからなのでしょうか?
素敵な記事と息をのむような美しい教会のお写真のお陰で、朝からそんな事をあれこれと考える贅沢な時間を過ごしております。
「蛇のように賢く、鳩のように素直に」なんとも心惹かれる表現ですが、
K氏の「苦い薬をオブラートに包むように」という表現も心に残りました。
海外に数ヶ月滞在していた時に、クリスチャンの方々と日常的に関わっており、それがそのまま信仰すること全般への関心にも繋がりました。
その関心は関心として持ったままでいたので、ぜひこのタイミングでもう一歩先へ踏み込んでみようかと思います。
せっかく聖書もパソコンで読める時代が来たのですしね。
とても興味深い投稿をありがたく読ませていただきました。
まず、Kさんのお祖母様がとても素敵な方で
Kさんを形成している要素の少ない部分を占めているんだろうなと感じました。
聖書は固定観念で、キリスト教の方が読むものだと今まで思っていて
それを覆してくれた本記事に感謝いたします。
メタファーの裏に隠された真実を読み取れる、読み取れないは
別として、非常に好きな表現方法であり、
世界のベストセラーであれば、もはや購入しない理由はありませんね。
私も、魔術師のようにあのような知性溢れる
回答ができる大人になりたいものです。
Kさん
いつもありがとうございます。
Twitterの投稿には、時々聖書からの引用を思い起こすことがありましたが、お祖母さまの影響と知り、深く納得いたしました。
私は中学生からミッションスクールへ通っておりましたので、聖書は身近なものでした。
実際に洗礼を受けたのは15年ほど前のことですが、恥ずかしながらまだ全巻を読破できておりません。
今は聖書アプリを用いて、時系列的に読める読書プランに取り組んで通読することを目指しています。
選ばれた箇所は最も読みやすい福音書の中にありますが、Kさんらしい着眼点でいらっしゃると思いました。
聖書にはたくさんの翻訳があり、微妙な表現で読む人の解釈も違ってきます。原典はギリシャ語ですので、そこから示されるKさんの解釈をぜひ伺いたいと思います。
その暁には、ぜひこちらのcodawariブログに記事を載せてくださいね。
ううう。
「なぜ、「賢さ」の象徴が蛇で、「素直さ」の象徴が鳩なのか」の答えは示されないのですね。
めちゃくちゃ知りたいです。
うちは神道ですが、別に他の宗教を排斥するわけではありませんので、まずは、謎解きの入口として、インターネットで聖書を読んだり、出張した際には、ビジネスホテル(旅行ではないのでOKとします)の机の引き出しに置いてある聖書を読んだりしていきます。
Kさん、こんにちは。
興味深い記事ありがとうございます。
私はクリスチャンではありませんが、時々訪問してくる宗教の方のお話を聴くことがあります。基本的には興味がないのですが、せっかく読み聴かせてくれるのでありがたく耳を傾けます。
コロナが流行した頃、既に聖書に書き記されていると教えられました。
大きく要約すると「感染症が大流行し、多くの人類が亡くなる」という話でした。
聖書の詳細な内容は覚えていませんが、今思うにメタファーで、抽象的に表現されているところを解説してくれたのかもしれません。
また、訪問してくれることがあれば、「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」の見解を聴いてみようと思います。
次回も楽しみにしています。
素敵な記事をありがとうございます。
日本にいると、なかなか宗教に触れる機会が無いので、とても興味深いトピックでした。
私は、留学先がクリスチャンの大学で、友達にもクリスチャンの子が多かったので、イベントや礼拝にもよく行ってました。
その時も、ディスカッションの場が有ったのですが、同じクリスチャンでも『私はバイブルのこの部分はあまり信じていない』とか、『ここの解釈はこう教わったけど、私はこう思う』などと、人それぞれで感じ方も違ってたのが印象的でした。
留学がきっかけで、宗教に興味を持ち始めたのですが、まだバイブルには手を出せていなかったので、これを機にバイブルを購入してみようかなと思いました。
次回のCodawariも楽しみにしています。
素敵な記事をありがとうございます。
聖書はまだ一度も読んだことがなく、
読もうとも思っていなかったので
大変興味が湧きました。
「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。」
このメタファーに隠された真実が気になりました。
ノアの方舟のお話は、
ワンピースの魚人島編でも似たようなエピソードがあったような気がします。
ワンピースの話が実は「聖書」に基づいて展開されているのではと思うと、
ワクワクが止まりません。
大ヒットした映画や漫画、書籍など
そこ(メタファー)に隠された
・必然性や普遍性
・作成者の意図
などを考察してみたら面白そうですね。
Kさんおはよう御座います。
私は神の存在は信じていません、ですが物語や空想の世界観は大好きです。
聖書は読んだ事はありませんが世界で一番需要がある書籍という事はそれに関係するビジネスも需要がある、ということでもあるのかなと感じました。
聖書を読んだこともないのに感想を言うのもおかしいですが、何世紀にも渡って書き足されてきたのにも理由があるんだろうと思います、その時代背景の真実をメタファーで抽象的に表現する事で後世の人達が様々な答えを見いだせる様に意図的に書いているんだと思いました。
人は答えを知りたがる生き物なので永遠の謎という本だからこそ世界中で読まれているのかなと私は感じました。
かくいう私も謎と言われるものの虜であります。
Kさん、こんにちは。
メタファーという言葉をお恥ずかしながら、初めて聞きました。
メタファーをWikipediaを見たのですが、直接的ではない比喩表現というようなことが書かれていましたが、正直よく分かりませんでした。
まだまだ知らないことがあるのは、知識の伸びしろがある、ということだと思いました。
Kさんの記事の内容には程遠いコメントになってしまいましたが、人間脳を鍛える「考える」ということのキッカケを下さってありがとうございました!
聖書はいまだかつて、まともに読んだことは
ないのですが、その中に人類にとって重要な内容が
盛りだくさんにつまっているのですね。
バベルの塔について調べてみると、
「実現不可能な天にも届く塔を建設しようとして、
崩れてしまった(神に壊された)」という故事にちなんで
空想的で実現不可能な計画の比喩とありました。
確かに、時代によっていかようにも解釈が可能ですね。
聖書をもとに作られているものは、事実でもあり、
預言書のようにも思えてきました。
今後は、そのような視点で、
聖書を読んでみることにします。
Kさん
本記事もまた素敵な時間をありがとうございます。
私はクリスチャンでは無いですが、だからこそ
教会の異文化と、天窓から光刺しこむ光景、讃美歌
鳴り響く重低音の荘厳な場に惹かれるものを感じているのかと思います。
宝の地図のように難解で、でも読むたびに発見がある
聖書についてお話しされているKさんの様子から、
少年のように好奇心でいっぱい、わくわくされている気持ちが
ひしひしと伝わってくる、そんな本記事の文章でした。
さらりと読み流すのではなく、そこから世界の本質に触れにいく
海外で宿泊すると大抵聖書が置いてありましたが、
パラパラとめくるどころか手に取ったことさえありませんでした。
初めて、聖書を読んでみたいと思いました。新たなきっかけを感謝いたします。
ありがとうございました。
素敵な記事をいつもありがとうございます。
聖書というのは今まで読んだことがなく、世界一売れているすごい本という認識でした。
猿も木から落ちるように、世界一人に愛される書籍から多くのものを学べないはずがない。
そして解釈度に応じて見える世界が広がる奥の深い本、これを読まない理由がどこにあるのだろうかと、Kさんの記事を拝見し思いました。
僕は本を読むのが苦手なので、なかなか継続して読むことが出来ないのですが、もっと書籍を読む目的を明確にしていかねばと思います。
いつも僕の世界を広げるような発信をありがとうございます!
「真実をメタファーの中に隠したのだろう。」
聖書に対する魔術師の方の一言に、とても深い意味合いを感じます。
本来、人間が創造性を失われていなければ、きっと聖書の言葉一つ一つの意味合いを汲み取ることができたことでしょう。
真実を汲み取り、理解したあと、ただ理解しただけでは終わってはいけなくて、自分の本心や良心がどうしていけばいいのか。
を、Kさんの大切にされている御言葉を拝見し、聖書を土台に人生の歩みを進め、長きにわたり歴史を変えてきた人達がいることの背景が、とても希望であり美しいと思いました。
そしてKさんや魔術師の方は、自分の體をもってしても、様々な出来事に意味を持たせていらっしゃることを強く感じられた記事でした。
Kさん、おはようございます。
聖書は長年世界の人々に指示されている本の一つゆえ、読むことでこの世界や人生の普遍的な何かを感じ取ることができるのでしょう。
そもそも、聖書がどのような書物なのか?も考えたことはなく、50億部を越えるベストセラー作品であることを知らなかったです。
しかし聖書には何かしら重要な意味がありますし、広く遍く指示されるのにも理由があるのですね。
自分の無思慮、無関心は人生への色を失わせていると感じさせられた記事でした。
素晴らしい気付きをありがとうございます。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
とっても素敵なお祖母様ですね。
ふと、私の母方の祖母を思い出しました。
函館で育ち、一人旅と煙草と家族を愛した祖母。
私も祖母からの影響をとても受けていると感じています。
きっと、血が呼ぶのでしょうね。
久しぶりにボロボロになった聖書を手にとってみました。
多感な時期に支えられたたくさんの言葉たちが年月を重ねても変わらずにそこに在って、懐かしくその当時が思い出されます。
世界中の多くの人が自分の状況と重ね合わせ照らし合わせて救われてきたのでしょう。
大ベストセラーは今日も誰かを教え、気づきを与えていますね。
次回も楽しみにしています。
ありがとうございました。
Kさん、今回もとても興味深い内容の記事をありがとうございます!
一般的なキリスト教徒ではないですが、アメリカで学生をしていた頃は聖書に線を引いたり、何度も繰り返し読んだりしていました。アメリカ人の友人達と共に、毎週のように教会に行くこともありました。
キリストは深い闇の中、「目醒め」を選択し、その目醒めた意識で、実際に水をワインに変えたりすることが出来ました。私は「キリストの再来」時期が “今のタイムライン”なのではないかと捉えている一人です。そして、神は外側にあるのではなく、内側にあると信じています。
ここ数年、聖書から離れているので、また読みたい気持ちになりました。Kさんの記事はいつも気づきを与えてくれます!
感謝の気持ちでいっぱいです!いつもありがとうございます!
Kさん、こんばんは。
クリスチャンではありませんが、だいぶ昔に学生の自分は、毎週一時間だけ、シスターから聖書について学ぶのが大好きでした。
確かに聖書について、苦い薬をオブラートに包むように。という表現は分かるような気がいたします。
その他に音楽の時間は聖歌を習い、クリスマスには火を灯したキャンドルを手にして聖歌を歌いながら、校内を練り歩きます。
一つ一つの空間が、神聖で、今思い出しても不思議な高校生活でした。
記事を拝読しながら、なんとも懐かしい思いが蘇り、久しぶりに聖書を手に取り、文字を読み、あの独特な紙の香りを嗅いでみたくなりました。
人生折り返しの自分が、このような気分にさせていただける、素敵な記事との出会いに感謝です。ありがとうございました。
私の知人でクリスチャンの方がいます。
私自身は今まで、聖書に触れたことが無く過ごしてきました。
愛読とまでは行きませんが、その方の影響で(その方からいただき)聖書を少しずつ読んでおります。
読みつけていない私にとって、難解なところもありますが、世界中で支持されていると言われております。
また、ベストセラーになっている漫画等にはキリスト教からヒントを得、エッセンスが散りばめられているとも、聞きます。
kさんより、聖書の事に触れる記事を目にし、自身のタイムリーな出来事とシンクロしましたので、この様なコメントさせていただきました。
美味なパイ、焙煎仕立ての珈琲、上質の葡萄酒…
文字だけなのに全て薫ってきそうでワクワクします♪
Kさんのこだわりの源泉の一部である聖書。
個人的にキリストの文化で小難しいお話と思い込んでいたので、今まで触れることがなかったです。
Kさんの紹介や敬愛なる魔術師さんの解釈を何度も読み直して、ようやく聖書の中身とお二人がほんの少しだけ掴めた気がします。
自分の中の新たな視点で世界の成り立ちを学ぶのもワクワクします♪
Kさん。
今回も素敵で、奥の深い記事を
ありがとうございます。
物事の事象に対して
「なぜなのか?」
Whyの考えを持つことを意識すること。
大事だと気付いていながら
“聖書” を
私は一度も読んだ事が
ありませんでした。
Kさんの在り方、
どこまでも深く考察し、
世界を観られている考え方を
聖書をはじめ
歴史的に語り継がれているものに対して
Whyの視点を持って
行動していきます。
Kさん、おはようございます。
魔術師さんの言葉に唸りました。
勝手な解釈が出来る文章ではなく
何度も読み返すうちに
ぼんやりと輪郭が浮かんでくるような、
でも、その形は正しいかはわからない。
奥深く思慮深く、後世の人間が色付けることは許されない、とうか寧ろ色を付ける余地がないような、許されないようなそんなイメージです。神聖とはこういう事を言うのでしょうか。
朝から美しい文章を読めて
今日は良い日になりますね。
ありがとうございます。
本日のブログも楽しみにしています。
Kさん、今回も記事を拝見させてもらいました。
私はキリスト教にはほぼ無縁だったので聖書には真実をあえて抽象的に表現されているのですね。
「蛇のように賢く、鳩のように素直であれ」の表現は確かにその動物でなければならない意図がありそうです。生態には詳しくありませんがなんとなく捕食行動が関係しそうです。
蛇は獲物を捕らえる際には警戒して、戦略的に弱らせて捕食して、
一方で鳩は目の前に餌があると何の警戒もなく飛びついて食べる。
蛇のような賢さは警戒と戦略的なことを指し、鳩のような素直さは本能的に欲に従うを指していると考えます。
抽象的に表現されているからこそ自由に思考ができるみたいですね。
今回もありがとうございました。次回も楽しみにしています。
自分の成熟度具合で新たな解釈や発見を得られる書物に毎日継続して向き合う事。
自己の成長を感じられてニマニマしてしまう至福の時間です。
知らない事を知れる、理解できるようになった瞬間は嬉しい物ですね。
本日の記事では、これまでの記事よりも更に重厚なものを感じました。
これはこの事柄とKさんが向き合われてきた年月と深い解釈を続けてきたからこそのだと受け取っています。
『蛇のように賢く、鳩のように素直であれ。』
宇宙がどこまで続いているのか分からないように、今の僕にはこの言葉が、何を伝えているのかが全く分からないです。
この分からない事実は恥ずかしいとは一切思いませんが、この言葉をすでに知っていたのにも関わらず、疑問すら抱いていなかったこと。その在り方が心底恥ずかしく思います。
この在り方はCodawariブログを通じて何度も痛感していますが、その度に生き方を少しでも改めようと生きている自分は誇りに感じています。
累計で50億部。ここまで世界で認められた本であるからには、読まずしてこの世の真理には近付くことが出来ないのではないかとも思います。
全てがメタファーで記されている。僕が好んでこなかった世界ではありますが、最近はどんどんのめり込み始めています。
このCodawariブログへの瞬間最大風速のコメントを続けていた、次のステップとして、コメントに比喩を組み込み、その表現を1つの楽しみとして行ってみます!
本日も素晴らしい気付きをありがとうございました。
私は、“聖書”なるものをまじまじと手に取り、読んだことはありません。
しかし、この度のエッセイを拝読し
聖書が、秀逸に構成されていることが
分かりました。
K氏がおっしゃっていた
なぜ賢い象徴が『蛇』であり
素直な象徴が『鳩』なのか
この二つの対比構造とは?
と深堀りしていくことで
聖書が真に伝えたいことが見えてくる
ここがとても印象的でした。
一節の文章に込められた想いや考え
これを読み解くほど面白いナゾ解きはないと
ワクワクしてしまいました。
知らない世界を覗くとても良い機会に
なりそうです。
まずは、ここから始めたいと思います。
本日もCodawariの記事をありがとうございます。
聖書は世界中で読まれている史上最大のベストセラーであるにもかかわらず、私は一切触れようとしていませんでした。
今回の記事を拝見し、Kさんの紹介が素敵過ぎるのか、とても興味深く、関心を持ちました。
国内国外に関わらず、宿泊先には聖書がおいてありますね。確か、ある団体からの寄贈だったと思いますが、布教活動の一貫となる以上の意味があるんですね。
就寝前に読む人もいれば、起床直後に読む人もいる。ホテルに一人で滞在し、そこで聖書に救われる人もいる。
それだけ読まれている書物の内容や表現を、何も知らないのは勿体無さすぎますね。
これからは、少しずつでも手に取ってみて、世界の秘密を探ってみようと思います。
中学の宗教の授業にて、聖書は数ページかじりましたが、当時の僕には過去の妄想だと捉えていました。
学校もキリスト系だったので、教会にも週1で足を運んでいましたが、大抵は寝て過ごしていました。
そんな僕にとってのキリスト教のイメージに対して、
少しずつ世界の秘密に迫っているような気がする、
とおっしゃられるKさん。
今改めて読んだら、そこの領域に自分はたどり着けているのか、
自分への腕試し的な感情が少し込み上げてきました。
過去を見返す言い機会になりました。
今日もありがとうございます。
序文を読み、お祖母様のお人柄がとても素敵で、Kさん自身とても慕われていたことが伝わってきて、心が和みました。
お祖母様、今頃とても喜んでおられるんじゃないでしょうか?
亡くなってからもこうして想い出してもらえること、さらには紹介してもらえること。
きっととても幸せなことだと思います。
教会の神聖な空気、たまらないですね。
さて、Kさんがおっしゃるように、史上最大のベストセラーと言われている聖書ですが、
恥ずかしながら、まだ手に取ったことがありません。
「自身の成熟度に応じて解釈が更新されるため、少しずつ世界の秘密に迫っているような気がするのだ。」
Kさんのこの言葉で読んでみたい気持ちがぐっと湧き上がってきました。
世界の秘密に迫る感覚が味わえる聖書。
どれだけ受け取れるか、近々手に取って読ませていただきます!
今日も素敵な記事をありがとうございました。
Kさん、素敵な記事をありがとうございます。
私もキリスト教文化好きです。
大学受験でも、教養科目に”聖書”の箇所が用いられる関係で、浪人時代に読みはじめました。初めは何が書いてあるのかわからず、睡眠薬のようになっていましたが、
Kさんのおっしゃる”メタファー”などを意識しながら3回、4回、と回数を重ねていくうちに、面白く感じる部分も出てきて、今でも毎日1〜2章読んでいます。
私は旧約聖書では動物の喩えなどが記されているイザヤ書や読みやすい箴言、新約聖書では伝道の書や黙示録が好きです。これからも愛読書として深く愉しんでいきたいです。
弟がヨーロッパの旅行に行った際に、有名な絵画『最後の晩餐』を観に連れて行ってもらったそうなのですが、キリスト教の歴史など知っているわけでもないのに、一目見て涙が流れてきたそうです。その話を聞いて、古く長く親しまれているモノには人の心に訴えるものがあるのだな、と感じました。
また、Kさんの聖書のこだわりについて、お聞かせいただけることを楽しみにしています。
聖書持ってます。新品なままです!笑
今、毎朝10分村上春樹さんに浸っていますが、聖書もラインナップに加えたいと思います。
この記事を見なかったら、この先聖書に触れることはなかったかもしれません。
読み進めるうちに、?ばかりが想像できますが、深掘りする良い機会かもしれません。
いつもありがとうございます♪
本日もK氏との共通点を見出し、密かな喜びが感じられた。
善悪の樹の実を食べろとイブにそそのかした蛇。
ノアが箱舟から放ち、オリーブの枝をくわえて戻ってきた鳩。
複雑で複合的な課題を抱える現代には、
鳩のような賢さが求められているのだろう。
聖書を読み解くこともまた、非日常を感じさせるひとときであることは、間違いない。
世界の秘密を聖書で読み解く。
大ベストセラーとなっている聖書をその視点で読む方は世界に何人いるのでしょうか?
いつも、Kさんの探究心、着眼点には驚かされてばかりです。
そしてお祖母様のお話。
今のKさんがいらっしゃるのはお祖母様の影響がとても大きかったのだと感じました。
私は20歳を過ぎた頃に、親になるのが怖いと漠然と思った事がありました。
私が知る範囲でしか、子どもに教える事が出来ないと思い込んでいたからです。
今では、知らない事を聞かれても一緒に調べればいいと思えます。
いつか結婚し、子どもを成し、いつまでも情熱を持って人と関わるおばあちゃんだったと言われるような女性になります。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
ホテルに泊まると部屋の家具の引き出しを開けると必ず入っていましたが、一度も読んだことなかったことを今は勿体ないことをしました。
映画の十戒や絵画の最後の晩餐等は目にしましたが深く感動しました。
機会がありましたら一度聖書を
読んでみます。
何時も素晴らしい事が伝わり
ありがとうございます。
最近、確かな本を読んでいないことを反省しました。
聖書は人生の指針となる事が沢山書かれているのに、差別、争い、争奪などが繰り返しおこなわれるのでしょうか?
結婚式で讃美歌を聞いたり、歌ったりするのは何とも気持ちが良いですね。
素敵な記事ありがとうございます。
今日の記事が一番コメントに悩みました。
蛇のように賢く、鳩のように素直に
動物には感情がありません。
蛇は、眼力が鋭く、獲物を捕えれば素早い行動、はたや、敵わないと思えば逃げるという特性を持っています。
鳩は、平和の象徴であり、巣に戻るという特性を持っています。
これらのことから、理解が定着しているものだと感じました。
この比喩表現は、日常あまり使わないので、とても勉強になりました。
次回の記事も楽しみにしてます。
今まで、聖書というのは一部の意識が高い人の読みもの、みたいな超偏った考えを持っていましたが、
これまで数々のこだわりを披露されてきて、完全にKさんのファンになってしまった今の僕には、
ちょっと読んでみようかなという新しい発想が生まれました。
聖書を読むという行為についても、毎朝10分など、毎日コツコツ継続する事が大切なのだと気付かせていただきました。
ありがとうございます!
本日も素敵な記事をありがとうございます。
聖書は読んだことがありません。
なぜなら難しいという固定観念があるからです。
そして、今まで見たものを繰り返し見ることが面倒で、意味のないことだと思っていたので、同じ本を2度読むことはほとんどなかったです。
しかし、Kさんはそれを自分の成長度によって理解が変わると捉えており、素敵すぎると思いました。
僕も年に何百冊の本を読むのではなく、きちんと一冊の本と向き合うことを意識します。
いつもありがとうございます。
これからも楽しみにしています!!
Kさん、こんにちは。
私が、普段通りに過ごしていたら“聖書“を手にする事はないでしょう。
しかし、世界一売れていると言われる聖書には相応の価値があるのだと思います。
物理学専攻であったKさんでさえも、
その説を信じるほどの事が記されていると考えると、私も拝読したくなりました。
読む度に理解度が異なり、自分の変化に気づくことができる代物に触れず発展していく事は、
ある意味“勿体ない“ですね。
本日も知らない世界を見せて頂き、
ありがとうございました。
私は父に教えられた『全ての物に神様は宿っている』という教えを愛しています。
良いことが起きれば良い神様が、悪いことが起きれば悪い神様がそこにはいる。
それを教えてくれているのだから全ての事に感謝して生きていきなさいと。
なので今まで聖書を読んだことはありませんでした。なんとなく難しいというイメージもあります。
たくさんの作品に取り入れられているので、知見を広げる意味でも読んでみたいと思います。
新しい気づきをありがとうございます!
Kさん、こんにちは。毎回付けられているタイトルがこの上なく巧みで、想像を激しく掻き立てられています。
今回もタイトルだけで内容のイメージが全く湧かず、ワクワクしながら読み進みました。
タイトルは聖書の一節だったのですね。ヨーロッパの絵画や音楽、文学などを深く理解するためにはやはりキリスト教や聖書の知識が必要だと常々思っています。
しかし、旧約聖書などは、二段組であの分厚さ、さらに文章もビジネス書のようにスラスラ読める内容でもなく、Kさんのおっしゃようにメタファーの連続で、何度挑戦しても挫折していました。
しかし、毎朝10分間の制限時間付きで謎解きのひとときを持つのも悪くない気がしてきました。